2012年05月18日

Laura Nyro "New York Tendaberry"

Laura Nyro(ローラ・ニーロ)、本名 Laura Nigro)(ローラ・二グロ)は、1947年10月18日に生まれ、1997年4月8日に他界したアメリカの女性シンガーソングライターです。
1997年4月8日、コネチカットの自宅で、息子Jill(ジル)と彼女の生活上のパートナー、マリア・デシデリオに見守られながら卵巣癌の為、49歳で死去しました。
ニューヨーク・ブロンクス生まれジャズ・シンガーのHelen Merrill(ヘレン・メリル)は叔母に当たります。
イタリア系ユダヤ人の家庭に生まれました。
ジャズ・トランペッターの父とクラシック愛好家の母の影響で、幼い頃から音楽に親しみました。
14歳の時に近所のプエルトリコ人の少年達とドゥ・ワップのグループを結成し、ストリートで歌い始めました。
ハイスクール時代にはNina Simone(ニーナ・シモン)やMartha And The Vandellas(マーサ&ザ・ヴァンデラス)などの黒人音楽、Bob Dylan(ボブ・ディラン)などのフォークに傾倒、この頃から作曲も始めました。
卒業後、自作曲を持ってレコード会社への売り込みを始め、1966年、Verve/Forecast(ヴァーヴ・フォークウェイズ)レーベルからシングル、“Wedding Bells Blues”(ウェディング・ベル・ブルース)でデビュー。
大型新人として期待されましたがセールスは伸びず、翌年発表した1stアルバム、“More Than A New Discovery"(モア・ザン・ア・ニュー・ディスカヴァリー)も売れ行きは芳しくなかったそうです。
当初、Verve/Forecast(ヴァーヴ・フォークウェイズ)レーベルから発売されたものを米コロムビアが1969年マスターを買取り曲順を一部変更して発売したものが、Laura Nyro(ローラ・ニーロ)の"The First Songs"(ファースト・ソングス)です。
1968年にCBSへ移籍し、同年2ndアルバム、"Eli And The Thirteenth Confession"(イーライと13番目の懺悔)をリリースしました。
1969年に、3rdアルバム、"New York Tendaberry"(ニューヨーク・テンダベリー)をリリースしました。
ニューヨークに生きる女性の孤独と焦燥を歌い綴った、Laura Nyro(ローラ・ニーロ)の傑作アルバムです。
早くから、Laura(ローラ)の才能に目を付けて、マネージャーになることを買って出たのが、後に、Asylum Records(アサライム・レコード)やGeffen Records(ゲフィン・レコード)を創ることになるDavid Geffen(ディヴィッド・ゲフィン)でした。
Geffen(ゲフィン)は、Laura(ローラ)を、ゴスペルやR&Bのフィーリングを持ちながら、極めてセンシティヴなシンガー・ソングライターとしてCBSに売り込み、契約を獲得することに成功しました。
そして、発売されたのが、Laura(ローラ)の二大傑作、"Eli And The Thirteenth Confession"(イーライと13番目の懺悔)と"New York Tendaberry"(ニューヨーク・テンダベリー)でした。
この2枚のアルバムは、評論家達から絶賛を浴び、Laura(ローラ)は、新しいタイプの女性シンガーとして注目を集めました。
3rdアルバム、"New York Tendaberry"(ニューヨーク・テンダベリー)は、評価が高く、1969年を代表するアルバムだとも言われています。
形式に束縛されない歌い回し、自由なスタイルで歌っています。
このアルバムの歌詞の世界は、冬のニューヨークを舞台にしているようです。
The 5th Dimension(フィフス・ディメンション)が、"Save The Country"(セイブ・ザ・カントリー(国を救え))をカヴァーして、ヒットさせ、Barbra Streisand(バーブラ・ストライサンド)が、"Time And Love"(タイム・アンド・ラヴ)をカヴァーしています。




収録曲

1. You Don't Love Me When I Cry(ユー・ドント・ラヴ・ミー・ホエン・ユア・クライ)
2. Captain For Dark Mornings(暗い朝のキャプテン)
3. Tom Cat Goodbye(トム・キャット・グッドバイ)
4. Mercy On Broadway(マーシー・オン・ブロードウェイ)
5. Save The Country(セイヴ・ザ・カントリー(国を救え))
6. Gibsom Street(ギブソム・ストリート)
7. Time And Love(タイム・アンド・ラヴ)
8. The Man Who Sends Me Home(マン・フー・センズ・ミー・ホーム)
9. Sweet Lovin' Baby(スウィート・ラヴィン・ベイビー)
10. Captain Saint Lucifer(キャプテン・セント・ルシファー)
11. New York Tendaberry(ニューヨーク・テンダベリー)



Laura Nyro "New York Tendaberry"

Laura Nyro New York Tendaberry.PNG



Laura Nyro - "You Don't Love Me When I Cry"



Laura Nyro - Save the Country



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2012年05月17日

Todd Rundgren "Something/Anything?"

Todd Rundgren(トッド・ラングレン)は、1948年6月22日、アメリカ ペンシルベニア州フィラデルフィアに生まれたミュージシャンです。
アッパー・ダービー近郊のウェストブルック・パーク団地で少年期を過ごしています。
一般的にはロックンロール、ソウルなどのジャンルに属するアーティストとされますが、ジャンルに捉われない幅広い音楽活動を行い、非常に多くの作品を発表しています(ただ、主に70年代の楽曲においてはThe Beatles(ビートルズ)からの大きな影響が指摘されています)。
美しく切ないメロディを作り出すメロディメーカーとしてだけでなく、XTCやBadfinger(バッドフィンガー)、Grand Funk Rail Road(グランド・ファンク・レイルロード)、Jesse Winchester(ジェシ・ウィンチェスター)やThe Band(ザ・バンド)、更には、Hall & Oats(ホール&オーツ)など、数々の有名バンド・アーティストのプロデュースを行ったプロデューサーとしても、更には、1970年代という早い段階から、自分ですべての楽器を演奏しヴォーカルを取る自宅録音を行うなど、マルチプレイヤーとしても知られています。
1980年代後半から1990年代前半にかけては高野寛、レピッシュなど、日本のアーティストのプロデュースも手掛けたこともあります。
現在はハワイに在住し、今尚、精力的に音楽活動を続けています。
1967年、地元のローカル・バンド、Woody's Truckstop(ウッディーズ・トラックストップ)を脱退する。
1967年、Nazz(ナッズ)を結成する。
1968年、デビュー・シングルに続き、1stアルバム、"Nazz"(ナッズ)をリリース。
1970年、Nazz(ナッズ)解散。
Bob Dylan(ボブ・ディラン)のマネージャー、Albert Grossman(アルバート・グロスマン)に見い出され、Bearsville(ベアズヴィル)のエンジニアとして働く。
1970年3月、Janis Joplin(ジャニス・ジョプリン)のアルバム、"Pearl"(パール)のプロデューサーに起用されるが、Janis(ジャニス)と衝突して降板。
1970年9月、初のソロ・アルバム、"Runt"(ラント)をAmpex Records(アンペックス・レコード)よりリリース。
"Runt"(ラント)というのは、Patti Smith(パティ・スミス)が、Todd Rundgren(トッド・ラングレン)に名付けたあだ名です。
1971年6月には、グランド・ピアノを弾くTodd(トッド)の首に縄がかけられたレコード・カヴァーが目を奪う、2ndアルバム、"Runt. The Ballad Of Todd Rundgren"(ラント: ザ・バラッド・オブ・トッド・ラングレン)がリリースされました。
初めてのLP2枚組(CD2枚組)の3rdアルバム、"Something/Anything?"(サムシング/エニシング?)が、1972年3月にリリースされました。
殆どのトラックを独りで演奏して、短期間で完成させたアルバムで、Todd(トッド)のソロ・アーティストとしての評価を決定付けることになりました。
"Something/Anything?"(サムシング/エニシング?)は、ビルボード誌のトップ30ら入り、最初のシングル、"I Saw The Light"(瞳の中の愛)も上位にチャートインしました。
後のTodd(トッド)を中心としたバンド、Utopia(ユートピア)のメンバー、Moogy Klingman(ムーギー・クリングマン)のレコードに共同プロデューサーとして参加したTodd(トッド)は、ニューヨークにあるKlingman(クリングマン)のロフトで、いつでも使える16トラックのレコーディング・スタジオを新築しました。
暫くの間、ここがTodd(トッド)のプライベート・スタジオとなりました。
1973年、"Something/Anything?"(サムシング・エニシング?)からの3枚目のシングル、"Hello It's Me"(ハロー・イッツ・ミー)が、チャート5位になりました。
"Hello It's Me"(ハロー・イッツ・ミー)は、Todd(トッド)が在籍していた、Nazz(ナッズ)時代のバラード曲です。
"Something/Anything?"(サムシング・エニシング?)は、"I Saw The Light"(アイ・ソー・ザ・ライト(瞳の中りの愛))、"Hello It's Me"(ハロー・イッツ・ミー)という2大ヒット・シングルを生み、ロング・セラーを記録したTodd Rundgren(トッド・ラングレン)の代表作です。
このアルバムには、"I Wouldn't Have Made Any Deference"(所詮は同じこと)や"Wolfman Jack"(ウルフマン・ジャック)という曲も収録されています。
ちなみに、2ndアルバムまでは、Ampex Records(アンペックス・レコード)よりリリースされていましたが、Ampex Records(アンペックス・レコード)は、Bearsville Records(ベアズヴィル・レコード)の前身のレーベルで、3rdアルバム、"Something/Anything?"(サムシング・エニシング?)からは、Bearsville Records(ベアズヴィル・レコード)よりリリースされています。
Albert Grossman(アルバート・グロスマン)が、Bearsville Records(ベアズヴィル・レコード)傘下に設立したのが、Ampex Records(アンペックス・レコード)だったようです。



収録曲

ディスク:1

1. I Saw The Light(アイ・ソー・ザ・ライト(瞳の中の愛))
2. It Wouldn't Have Made Any Difference(所詮は同じこと)
3. Wolfman Jack(ウルフマン・ジャック)
4. Cold Morning Light(冷たい朝の光)
5. It Takes Two To Tango(This Is For The Girls)(イット・テイクス・トゥー・トゥ・タンゴ)
6. Sweeter Memories(甘い想い出)
7. Intro(イントロ)
8. Breathless (instrumental)(ブレスレス)
9. The Night The Carousel Burned Down(ザ・ナイト・ザ・カルーセル・バーント・ダウン)
10. Saving Grace(セイヴィング・グレイス)
11. Marlene(マーリーン)
12. Song Of The Viking(ソング・オブ・ザ・ヴァイキング)
13. I Went To The Mirror(アイ・ウェント・トゥ・ザ・ミラー)

ディスク:2

1. Black Maria(ブラック・マリア)
2. One More Day (No Word)(ワン・モア・デイ)
3. Couldn't I Just Tell You(伝えられずにいられない)
4. Torch Song(トーチ・ソング)
5. Little Red Lights(小さな赤い灯)
6. Overture - My Roots: Money (That's What I Want)/Messin' With The Kid(オーヴァーチュア/マイ・ルーツ)
7. Dust In The Wind(風に舞うほこり)
8. Piss Aaron(ピス・アーロン)
9. Hello It's Me(ハロー・イッツ・ミー)
10. Some Folks Is Even Whiter Than Me(サム・フォークス・イズ・イーヴン・ホワイター・ザン・ミー)
11. You Left Me Sore(ユー・レフト・ミー・ソア)
12. Slut(スラット)



Todd Rundgren "Something/Anything?"

Todd Rundgren Something Anything.PNG



Todd Rundgren - I Saw The Light ('73)



Todd Rundgren - Hello Its Me



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2012年05月15日

Roxy Music "Country Life"

Roxy Music(ロキシー・ミュージック)は、1970年に結成したイギリスのロック・グループです。
イングランド北東部のダーラム州ワシントン生まれのBryan Ferry(ブライアン・フェリー)は、ニューカッスル大学で絵画、彫刻、陶芸を学んで卒業後にロンドンへ出ました。
Bryan Ferry(ブライアン・フェリー)は、運転手や小道具修復、女子校の美術教師などのアルバイトをしつつ、陶芸家を目指していましたが、彼には、もう一つの夢がありました。
高校時代には、バンシーズというグループでヴォーカルを担当していたFerry(フェリー)は、ミュージシャンを目指してメンバーを探し始めることになりました。
The Gas Board(ガス・ボード)の同僚だったGraham Simpson(グレアム・シンプソン)や友人の紹介で知り合ったAndy Mackay(アンディ・マッケイ)、Mackay(マッケイ)の紹介で加わったBrian Eno(ブライアン・イーノ)らとRoxy(ロキシー)としての活動を始めました。
Roxy(ロキシー)というグループ名の由来は、ロンドンで栄えた映画館チェーンから来ています。
アメリカに同名のグループが存在することを知ったFerry(フェリー)がMusic(ミュージック)を付け加えたそうです。
そして、Roxy Music(ロキシー・ミュージック)となりました。
メンバー・チェンジを繰り返しつつ、1972年前半には、デビュー時のメンバーが揃い、1972年6月に、1stアルバム、"Roxy Music"(ロキシー・ミュージック)でデビューを果たすことになりました。
"For Your Pleasure"(フォー・ユア・プレジャー)は、1973年3月にリリースされた、Roxy Music(ロキシー・ミュージック)の2ndアルバムです。
このアルバムでのラインナップは、Bryan Ferry(ブライアン・フェリー)、Andy Mackay(アンディ・マッケイ)、Brian Eno(ブライアン・イーノ)、Paul Thompson(ポール・トンプソン)、Phil Manzanera(フィル・マンザネラ)の5人です。
"For Your Pleasure"(フォー・ユア・プレジャー)をリリースした後、Roxy Music(ロキシー・ミュージック)の音楽を考える上で転機とも言えるメンバー・チェンジが発表されました。
Brian Eno(ブライアン・イーノ)の脱退です。
元々、Eno(イーノ)は効果音・エフェクト担当という非常にファジーなポジションでありましたが、当時の彼の人気は絶大で、フロントであるべきFerry(フェリー)が「バンドに二人もBrian(Bryan)
(ブライアン)は要らない。」と言ってEno(イーノ)をクビにしたとの説までありますが、真相がどのようなものであるにせよ、メンバー間の音楽・非音楽両面における軋轢はかなり大きかったことが予想されます。
バンドは、元、Curved Air(カーヴド・エア)のマルチプレイヤーである(キーボードとヴァイオリン) Eddie Jobson(エディ・ジョブソン)を加え、1973年11月に3rdアルバム、"Stranded"(ストランディッド)を発表しました。
1974年11月、4thアルバム、"Country Life"(カントリー・ライフ)を発表しました。
更に、耽美で叙情性を増した音楽性もさることながら、シースルーの下着を着けた女性2人というジャケットが物議を醸しました。
カナダでは女性2人が消され、ドイツでは1人の顔だけをアップにし、アメリカでは袋入りで発売される等、国ごとに様々な措置が取られたようです。
右側の黒い下着の女性は、元は、男性だそうです。
この2人のモデルは、6曲目の"Better Sweet"(ビター・スウィート)の作詞にも協力(歌詞の一部をドイツ語に翻訳したそうです)。
Roxy Music(ロキシー・ミュージック)のアルバムとしては、初めて、アメリカのアルバム・チャートでトップ40入りを果たしました。
"All I Want Is You"(オール・アイ・ウォント・イズ・ユー)はシングル・カットされ、母国イギリスのシングル・チャートで12位になりました。
"Casanova"(カサノヴァ)は、Bryan Ferry(ブライアン・フェリー)のソロ・アルバム"Let's Stick Together"(レッツ・スティック・トゥゲザー)(1976年リリース)でセルフカヴァーされました。



収録曲

1. The Thrill Of It All(ザ・スリル・オブ・イット・オール)
2. Three And Nine(スリー・アンド・ナイン)
3. All I Want Is You(オール・アイ・ウォント・イズ・ユー)
4. Out Of The Blue(アウト・オブ・ザ・ブルー)
5. If It Takes All Night(イフ・イット・テイクス・オール・ナイト)
6. Bitter Sweet(ビター・スウィート)
7. Triptych(トリプティック(聖なる3枚の絵))
8. Casanova(カサノヴァ)
9. A Really Good Time(ア・リアリー・グッド・タイム)
10. Prairie Rose(プレイリー・ローズ)

当時のメンバー

Bryan Ferry(ブライアン・フェリー)(ヴォーカル、キーボード)
Andy Mackay(アンディ・マッケイ)(サックス、オーボエ)
Paul Thompson(ポール・トンプソン)(ドラムス)
Phil Manzanera(フィル・マンザネラ)(ギター)
Eddie Jobson(エディ・ジョブソン)(キーボード、シンセサイザー、ヴァイオリン)
John Custafson(ジョン・ガスタフソン)(ベース)



Roxy Music "Country Life"

Roxy Music Country Life.PNG



Roxy Music - Out of the Blue (Live 1976)



Roxy Music - A Really Good Time



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2012年05月14日

Bjork "Telegram"

Bjork Gudmundsdottir(ビョーク・グズムンズドッティル)は、 1965年11月21日生まれのアイスランド、レイキャヴィークの女性歌手、シンガーソングライター、作曲家、女優です。
Bjork(ビョーク)として知られています。
ソロで精力的に活動する以前は、オルタナティヴ・ロックバンド、The Sugarcubes(シュガーキューブス)のメイン・ヴォーカルとして活動していました。
彼女は、様々なジャンルの音楽に影響を受けた革新的な音楽を生み出すことで知られ、グラミー賞に12回、アカデミー賞に1回ノミネートされるなど多数の賞を獲得しています。
彼女のレコード・レーベル、One Little Indian(ワン・リトル・インディアン)によると、2003年現在、彼女は全世界で1,500万枚のアルバムを売り上げています。
The Sugarcubes(シュガーキューブス)解散後、1993年にソロアルバムをリリースしました。
主なプロデューサーは、Nellee Hooper(ネリー・フーパー)です。
Nellee Hooper(ネリー・フーバー)とBjork(ビョーク)の共同プロデュースした曲もあります。
Bjork(ビョーク)がプロデュースした曲もあります。
ソロとしては3枚目でありますが、改めて、"Debut"(デビュー)と題したこの1stアルバムは、ハウスを取り入れた先鋭的かつポップなサウンド、天真爛漫でフォースフルなヴォーカルが大々的にフィーチャーされ、世界的にヒットしました。
ソロとして1枚目は、1977年にアイスランドでリリースされた、Bjork Gudmundsdottir(ビョーク・グズムンズドッティル)、2枚目は、1990年にリリースされた、Gling-Glo(グリン・グロ)です。
1995年に、2ndアルバム、"Post"(ポスト)をリリースしました。
"Debut"(デビュー)のプロデュースを手掛けた、Nellee Hooper(ネーリー・フーバー)とTricky(トリッキー)、808 State(808ステイト)のGraham Massey(グラハム・マッセイ)、 Howie B(ハウィー・B)、Bjork(ビョーク)の共同プロデュースにより完成されたアルバムが、2ndアルバム、"Post"(ポスト)です。
2ndアルバム、"Post"(ポスト)のリミックスアルバムが、1996年にリリースされた、"Telegram"(テレグラム)です。
アルバムのジャケットは、アラーキーこと荒木経惟の撮影です。
また、ブックレットは、アラーキーの写真集と言って良い程に、アラーキーが撮影したBjork(ビョーク)の写真が載っています。
Bjork(ビョーク)がアラーキーのファンであることから実現したセッションです。
"Post"(ポスト)に収録されていない曲は、4曲目の"My Spine"(マイ・スパイン)で、Bjork(ビョーク)とvelyn Glennie(エヴェリン・グレニー)の共作です。



収録曲

1. Possibly Maybe(Lucy Mix - LFO)(ポッシブリー・メイビー(ルーシー・ミックス))
2. Hyperballad(Brodsky Quartet version)(ハイパーバラッド(ブロスキー・クァルテット・ヴァージョン))
3. Enjoy(Further Over the Edge Mix) エンジョイ(ファーザー・オーヴァー・ジ・エッジ・ミックス))
4. My Spine(featuring Evelyn Glennie)(マイ・スパイン)
5. I Miss You(Dobie Rub Part One - Sunshine Mix)(featuring Rodney P)(アイ・ミス・ユー(ドビー・ラブ・パート・ワン)(サンシャイン・ミックス))
6. Isobel(Deodato Mix)(イゾベル(デオダート・ミックス))
7. You've Been Flirting Again(Flirt Is a Promise Mix - Bjork)(ユーヴ・ビーン・フラーティング・アゲイン(フラート・イズ・ア・プロミス・ミックス))
8. Cover Me(Dillinja Mix)(カヴァー・ミー(デイリンジャ・ミックス))
9. Army of Me(Masseymix - Graham Massey)(アーミー・オブ・ミー(マッセイミックス))
10. Headphones(Remix a.k.a. The Metri Mix - Mika Vainio)(ヘッドフォンズ(リミックス))



Bjork "Telegram"

Bjork Telegram.PNG



My spine - Bjork (Telegram)



Cover Me (Dillinja Mix)- Bjork



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2012年05月12日

New York Dolls "In Too Much Too Soon"

New York Dolls(ニューヨーク・ドールズ)は、1971年に結成されたアメリカのロックバンドです。
1973年7月にアメリカでリリースされた、Todd Rundgren(トッド・ラングレン)のプロデュースによるデビュー・アルバム、"New York Dolls"(ニューヨーク・ドールズ)は、イギリスでは10月に発売され、New York Dolls(ニューヨーク・ドールズ)は、発売に合わせて、11月からイギリス各地の大学を中心としたライヴ、ヨーロッパでのライヴを行いました。
イギリスでは、それなりに注目を集めたようで、その時に、彼らに接近したのが、後にSex Pistols(セックス・ピストルズ)を仕掛けたMalcolm McLaren(マルコム・マクラーレン)であり、マンチェスターでテレビを観ていたThe Smiths(スミス)のMorrissey(モリッシー)でした。
後期、New York Dolls(ニューヨーク・ドールズ)のマネージャーは、Malcolm McLaren(マルコム・マクラーレン)でした。
ヨーロッパ各地でのライヴから帰って来たNew York Dolls(ニューヨーク・ドールズ)は、1974年3月から2ndアルバムのレコーディングに入りました。
プロデューサーは、George "Shadow" Morton(ジョージ・シャドウ・モートン)でした。
1stアルバム同様、2ndアルバムも非常に早くレコーディングが進み、1974年5月には、アメリカで"In Too Much Too Soon"(悪徳のジャングル)がリリースされました。
2ndアルバム、"In Too Much Too Soon"(悪徳のジャングル)は、評判も良く注目を集めていましたが、この頃、新しい波が起こり始めていました。
Television(テレヴィジョン)、Patti Smith(パティ・スミス)、Ramones(ラモーンズ)らがライヴを行うようになり、1975年の始めには、New York Dolls(ニューヨーク・ドールズ)のオープニング・アクトにTelevision(テレヴィジョン)が起用されました。
そして、ツアー中の4月24日のマイアミでのライヴを最後に、Johnny Thunders(ジョニー・サンダース)(ギター)とJerry Nolan(ジェリー・ノーラン)(ドラムス)が、グループを脱退して、オリジナル・グループは解散してしまいました。
Thunders(サンダース)とNolan(ノーラン)は、Television(テレヴィジョン)を脱退したRichard Hell(リチャード・ヘル)と、Heartbreakers(ハートブレイカーズ)を結成しました。
David Johansen(デヴィッド・ヨハンセン)(ヴォーカル)とSylvain Sylvain(シルヴェイン・シルヴェイン)(ギター)は、活動を続けますが、1977年に正式に解散しました。
ロンドンでは、Sex Pistols(セックス・ピストルズ)やThe Stranglers(ストラングラーズ)らが積極的にライヴを開始し、ニューヨークでも、Patti Smith(パティ・スミス)に続いて、Ramones(ラモーンズ)がデビューして、Velvet Underground(ヴェルヴェット・アンダーグラウンド)とパンクシーンを繋ぐグループであったNew York Dolls(ニューヨーク・ドールズ)のことは忘れられがちになって行きました。
Thunders(サンダース)のHeartbreakers(ハートブレイカーズ)は、Richard Hell(リチャード・ヘル)が脱退後、イギリスで大きな人気を獲得しましたが、Thunders(サンダース)には、常にドラッグの問題が付きまとい、Thunders(サンダース)が1991年に薬物とアルコールの過剰摂取により逝去して、Jerry Nolan(ジェリー・ノーラン)が脳卒中で逝去しました。
2004年6月に、「ニューヨーク・ドールズ・ファン・クラブ・イギリス理事」を名乗っていたMorrissey(モリッシー)の呼び掛けで、New York Dolls(ニューヨーク・ドールズ)は再結成しました。
Morrissey(モリッシー)がキュレーターを務めたメルトダウン・フェスティヴァルで、再結成のライヴが実現しましたが、2004年7月13日に、Arthur Kane(アーサー・ケイン)(ベース)が白血病の合併症から逝去しました。
オリジナル・メンバー5人のうち、3人が鬼籍に入ってしまいました。
2ndアルバム、"In Too Much Too Soon"(悪徳のジャングル)の収録曲ですが、2曲目の"Stranded In Jungle"(悪徳のジャングル)は、50年代のR&Bグループ、Cadets(カデッツ)がヒットさせた曲です。
4曲目の"(There's Gonna Be A) Showdown"(ショウダウン)は、R&Bのシンガー、Archie Bell(アーチ―・ベル)のヒット曲です。
9曲目の"Don't Start Me Talkin'"(ドント・スタート・ミー・トーキング)は、ブルース・ハープの名手、Sonny Boy Williamson(サニー・ボーイ・ウィリアムソン)のナンバーです。
7曲目の"Chatterbox"(チャターボックス)で、Johnny Thunders(ジョニー・サンダース)がヴォーカルを取っています。



収録曲

1. Babylon(バビロン)
2. Stranded In The Jungle(悪徳のジャングル)
3. Who Are The Mystery Girls?(ミステリー・ガール)
4. (There's Gonna Be A) Showdown(ショウダウン)
5. It's Too Late(イッツ・トゥー・レイト)
6. Puss 'N' Boots(パッスン・ブーツ)
7. Chatterbox(チャターボックス)
8. Bad Detective(バッド・ディテクティヴ)
9. Don't Start Me Talkin'(ドント・スタート・ミー・トーキン)
10. Human Being(ヒューマン・ビーイング)


当時のメンバー

David Johansen(デヴィッド・ヨハンセン)(ヴォーカル)
Johnny Thunders(ジョニー・サンダース)(ギター)
Arthur Kane(アーサー・ケイン)(ベース)
Sylvain Sylvain(シルヴェイン・シルヴェイン)(ギター)
Jerry Nolan(ジェリー・ノーラン)(ドラムス)



New York Dolls "In Too Much Too Soon"

New York Dolls In Too Much Too Soon.PNG



New York Dolls - Stranded in the jungle



New York Dolls - Chatterbox (1973)



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2012年05月10日

The Velvet Underground "The Velvet Underground"

The Velvet Underground(ヴェルヴェット・アンダーグラウンド) は、1965年に結成されたアメリカのロックバンドです。
ヴェルヴェッツという略称でも呼ばれます。
商業的な成功を手にすることなく解散しましたが、その極めて前衛的なサウンドと、性におけるタブーや薬物など人間の暗部を深く鋭く見つめる歌詞は、David Bowie(デヴィッド・ボウイ)やSex Pistols(セックス・ピストルズ)など後進のアーティストに多大な影響を与え、ロックの芸術性の向上に大きな役割を果たしました。
1996年にロックの殿堂入りを果たしました。
1963年、大学を中退したLou Reed(ルー・リード)はニューヨークに移り、レコード会社の雇われソングライターをしながら自分名義のレコード契約の機会をうかがっていました。
1964年のある日、Reed(リード)はウェールズ出身で現代音楽を学ぶためにアメリカに来ていたJohn Cale(ジョン・ケイル)と出会います。
共通の音楽的アプローチを有していた二人は意気投合し、バンドの結成を模索します。
1965年頃にはSterling Morrison(スターリング・モリソン)(ギター)、Angus MacLise(アンガス・マクリーズ)(パーカッション)の二人が加わわりますが、半年ほどでAngus(アンガス)が脱退しました。
後任にMaureen Tucker(モーリン・タッカー)(ドラムス)が加入すると、"The Velvet Underground"「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」名義で本格的な活動を始めました。
このバンド名は道端に落ちていたペーパーバックのSM小説のタイトルから付けられました。
Warhol(ウォホール)のプロデュースの下でのデビューアルバムの制作が決定しました。
アルバムの制作に先立ち、Warhol(ウォーホル)の提案により、ファクトリー(ウォーホールのスタジオ)に出入りしていたドイツ生まれのNico(ニコ)がヴォーカルとして加入しました。
1967年に、Warhol(ウォーホル)によるバナナのジャケットで有名なアルバム、"The Velvet Under ground & Nico"(ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ)でデビューしました。
Andy Warhol(アンディ・ウォーホル)との関係を断ち、Nico(ニコ)が脱退した後に発表された、1968年の2ndアルバム、"White Light / White Heat"(ホワイト・ライト/ホワイト・ヒート)では、より前衛色を強め、ホワイトノイズを多用した17分に及ぶ大作、"Sister Ray"(シスター・レイ)が並ぶなど、Lou Reed(ルー・リード)とJohn Cale(ジョン・ケイル)の音楽性が激しいぶつかり合いと融合を重ねた結果と言えるアルバムでありました。
しかし、音楽的なぶつかり合いの激しさが頂点に達した結果、John Cale(ジョン・ケイル)はヴェルヴェッツの中で居場所を失い、このアルバムを最後にグループを脱退します。
John Cale(ジョン・ケイル)の替わりに、メンバーとなったのが、Doug Yule(ダグ・ユール)でした。
Doug Yule(ダグ・ユール)は、ベーシストとして加わり、Lou(ルー)に逆らうことのないメンバーでしたので、Lou(ルー)を喜ばせました。
1969年、3rdアルバム、"The Velvet Underground"(ヴェルヴェット・アンダーグラウンド)(「III」とも表されます。)がリリースされました。
John Cale(ジョン・ケイル)が脱退したこともあって、Lou(ルー)の音楽性が前面に出たアルバムで、すべての曲のクレジットがLou(ルー)になっています。
また、2ndアルバムまでのようなノイジーな部分が薄れています。
1曲目の"Candy Says"(キャンディ・セッズ)は、Doug Yule(ダグ・ユール)のヴォーカルです。
9曲目の"The Muder Mystery"(殺人ミステリー)は、Steerling Morrison(スターリング・モリソン)、Doug Yule(ダグ・ユール)、Maureen Tucker(モーリン・タッカー)がヴォーカルで参加しています。
10曲目の"After Hours"(アフター・アワーズ)は、Maureen Tucker(モーリン・タッカー)のヴォーカルです。
4曲目の"Pale Blue Eyes"(ペイル・ブルー・アイズ)は、名バラードで、R.E.M.やPatti Smith(パティ・スミス)がカヴァーしています。



収録曲


1. Candy Says(キャンディ・セッズ)
2. What Goes On(ホワット・ゴーズ・オン)
3. Some Kinda Love(サム・カインダ・ラブ)
4. Pale Blue Eyes(ペイル・ブルー・アイズ)
5. Jesus(ジーザス)
6. Beginning To See The Light(ビギニング・トゥ・シー・ザ・ライト)
7. I'm Set Free(アイム・セット・フリー)
8. That's The Story Of My Life(ザッツ・ザ・ストーリー・オブ・マイ・ライフ)
9. The Murder Mystery(殺人ミステリー)
10. After Hours(アフター・アワーズ)


当時のメンバー

Lou Reed(ルー・リード)(ヴォーカル、ギター)
Doug Yule(ダグ・ユール)(ベース、オルガン、ヴォーカル)
Sterling Morrison(スターリング・モリソン)(ギター、ベース、ヴォーカル)
Maureen Tucker(モーリン・タッカー)(パーカッション、ヴォーカル)



The Velvet Underground "The Velvet Underground"

Velvet Underground Velvet Underground.PNG




Pale blue eyes - Velvet Underground - Lyrics



The Velvet Underground - After Hours



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2012年05月08日

政府、韓国国債を初購入へ

GWは、韓国国債の購入検討(4月27日ニュース)とのことで、「紙屑を買うのかよ!」と思っていた訳ですが、韓国国債の購入が正式に決まったようです。
しかもウォン建てです。


政府、韓国国債を初購入へ…年内に数百億円規模
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20120504-OYT1T00315.htm

【マニラ=鎌田秀男】日本政府は、韓国の国債を初めて購入する。規模は数百億円の見通しで、年内にも始める。マニラで3日開かれた日中韓の財務相・中央銀行総裁会議で、3国が互いの国債を持ち合うことで合意した。日中韓が経済面の結びつきを深める狙いがある。

 会議には日本から安住財務相と白川方明(まさあき)日本銀行総裁が出席した。会議終了後、安住氏は国債持ち合いについて「通貨の信用と3か国間の信頼を深めるために有効な方法だ」と意義を強調した。日本は昨年12月に野田首相が訪中した際、中国国債の保有を決めた。今年3月に中国当局から650億元(約8200億円)の購入許可を受け、年内にも買い始める。中韓両国は既に日本国債を保有している。

(2012年5月4日16時47分 読売新聞)



財務相会議で合意、日中韓が相互に国債購入
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0503&f=business_0503_026.shtml

【経済ニュース】 2012/05/03(木) 12:27

【マニラ共同】日本と中国、韓国の財務相・中央銀行総裁会議が3日、フィリピンの首都マニラで開かれ、3カ国が相互に国債購入を進めて経済関係を強化することで合意した。日本からは安住財務相と白川日銀総裁が出席。安住財務相はウォン建ての韓国国債を購入する方針を表明した。日本は人民元建ての中国国債の購入は3月に中国と最終合意しており、韓国国債はこれに続く形となる。中国と韓国は既に日本国債を購入している。


中国国債の購入は、3月に決まっています。

日本政府、初めて中国国債購入へ
http://www.afpbb.com/article/economy/2864993/8636171


【3月13日 AFP】安住淳(Jun Azumi)財務相は13日午前の記者会見で、中国政府が中国国債650億人民元(約8500億円)の購入枠を許可したと発表した。

 安住財務相は、購入にあたって事務手続きなどの準備期間に数か月かかる見込みだと説明した。日本政府が中国国債を購入するのは初めて。

 日本政府による中国国債購入は、前年12月の日中首脳会談で、アジアの金融市場の安定化を図り、両国の経済関係を強化する一環として合意されていた。(c)AFP



4行が一気に破綻する国の国債を買うそうです。

貯蓄銀行4行、営業停止の見通し
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/05/04/2012050400632.html

2012/05/04 09:12

貯蓄銀行業界10位以内の大手3行と小規模行1行の計4行が今週末にも営業停止処分を受ける見通しとなった。

 金融当局は今週末に経営評価委員会を開き、昨年営業停止を猶予された貯蓄銀行5行とその後経営上の問題が浮上した1行の計6行について、破綻処理の是非を決定する。金融当局関係者は「経営評価委は諮問機関という位置づけだが、事実上の最終決定を下す場になる。現時点では4行が営業停止処分を受ける可能性が高い」と述べた。

 貯蓄銀行に対する追加的な営業停止処分が迫ったとのうわさが広がり、3日には、貯蓄銀行業界で資産規模1位のソロモン貯蓄銀行の本支店では、取り付け騒ぎが起き、預金の払い戻しが普段の5−6倍の500億ウォン(約35億6000万円)以上に達した。また、上場企業である同行の株価はストップ安を記録した。H貯蓄銀行など他行にも預金者からの問い合わせが相次いだ。

 林錫(イム・ソク)ソロモン貯蓄銀行会長は同日のインタビューで、「経営改善に必要な数カ月の時間も与えることができないというのか」問い合わせ不満をあらわにした。

 昨年、営業停止処分が猶予され、今回改めて破綻処理すべきかどうか審査を受ける5行は、預金者保護上限の5000万ウォン(約356万円)を超える預金の合計残高が789億ウォン(約56億1000万円)、預金者保護の対象にならない劣後債が5000億ウォン(約356億円)あり、営業停止処分が決まれば、大きな影響が予想される。



安住の売国は、これだけではないです。

財務相 アジア支援の基金に拠出表明
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120504/k10014894301000.html

5月4日 17時1分

安住財務大臣は、フィリピンのマニラで開かれている、アジア開発銀行の年次総会で演説し、アジア域内で所得の低い国々を支援するための基金に、1500億円余りの資金を拠出する方針を表明しました。

アジア開発銀行の年次総会は、67の国と地域から財務相らが出席して、4日からフィリピンのマニラで始まりました。
安住財務大臣は演説で、「東日本大震災からの復旧・復興への対応や、厳しい経済・財政状況のなか、アジアの貧困削減に貢献するため協力する」と述べ、アジア開発銀行が設けている、アジア域内で所得が低い国々を支援するための基金に、1500億円余りの資金を拠出する方針を表明しました。
この基金は、インフラ整備や教育などを支援するため、低金利で融資を行うもので、ヨーロッパの信用不安の影響で、民間の金融機関が途上国向けの融資に慎重になったことなどから、利用が増えています。
アジア開発銀行は今回の総会で、基金をおよそ1兆円積み増す方針ですが、日本の拠出額は加盟国で最大となる見通しです。
安住大臣は「資金を有効に活用し、アジアの貧困対策や開発に向け、着実に効果を生み出していただきたい」と述べました。
アジア開発銀行の総会は5日まで開かれ、貧困や環境問題、貿易の促進策などについて意見を交わす見通しです。



野田政権になってから(過去を遡ればまだあります。)

2011年10月19日 韓国に5兆4,000億円のスワップ
2011年11月18日 ASEANに2兆円支援
2011年12月25日 中国に7,800億円(100億ドル)支援
2011年12月26日 インドに7,800億円支援
2011年1月26日  チュニジアに211億円支援
2012年4月14日  欧州IMFに4兆8,000億円拠出
2012年4月21日  メコン川諸国に6,000億円支援
new 韓国国債数百億円規模購入しかもウォン建て
new アジアの貧困に貢献協力1,500億円



他国にばら撒く金があるなら、被災地の復興の方が先でしょ。
これで、増税ですから。
ウォン建てで韓国国債を買うなんて、有り得ないですよ。
国民の税金を紙屑にする気?



安住淳への苦情

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2012年05月05日

The Who "Tommy"

The Who(ザ・フー)は、イギリスのロックバンドです。
当初は、Small Faces(スモール・フェイセス)(後にFaces(フェイセズ)に改名)と並び、モッズ・カルチャーを代表するバンドと評されました。
原形は、Roger Daltrey(ロジャー・ダルトリー)のバンド、The Detoursでした。
テレビで同じ名前のバンドが存在するのを知り、バンド名をThe Who(ザ・フー)に改めました。
1964年、当時のマネージャー、Peter Meaden(ピート・ミーデン)のアイデアでバンド名をThe High Numbers(ザ・ハイ・ナンバーズ)に改名しました。
1964年7月、そのバンド名義でデビュー・シングル、"I'm The Face"(アイム・ザ・フェイス)を発表しましたが不発に終わり、Meaden(ミーデン)は解任されました。
バンドは、The Who(ザ・フー)に戻り、1965年1月、Decca(デッカ)系列のBrunswick Label(ブランズウィック・レーベル)から、シングル、"I Can't Explain"(アイ・キャント・エクスプレイン)で再デビューしました。
1965年12月3日、英国で、1stアルバム、"My Generation"(マイ・ジェネレイション)がリリースされました。
その後、Pete Townshend(ピート・タウンゼント)はクラシックの楽曲技法をロックに取り入れ、「ロック・オペラ」と称される楽曲を発表するようになりました。
1969年にリリースされたされた4thアルバム、"Tommy"(ロック・オペラ「トミー」)でロック・オペラというジャンルを確立しました。
The Who(ザ・フー)のキャリアの中でも重要な位置にあり、後にオーケストラとの共演、映画、再結成ライブでの演奏、ブロードウェイ・ミュージカル化と、形を変えて何度も発表されています。
三重苦の少年Tommy(トミー)を主人公にした物語は若者、またはPete(ピート)自身の孤独や苦悩を反映させたスピリチュアルなもので、Pete(ピート)が傾倒しているインド人導師、Meher Baba(ミハー・ババ)の影響が初めて作品に顕著に現れたものです。
このアルバムによってThe Who(ザ・フー)はシングル・ヒットを出し続けなければならない音楽活動から抜け出し、全英2位・全米4位とセールスの面でも大成功を収めました。
しかし、アルバムがリリースされた時、イギリスの評論家達の意見は大雑把に二つに分かれました。
一つは、これは傑作だと絶賛する意見で、もう一つは、こんなものは病気そのもので天然資源を荒らすものだという意見でした。
聴覚、言語、視覚に障害を持つ少年が、自分の叔父から性的虐待を受けるなんて。
間接的にも、こんな題材を扱ったポップ・アルバムは存在しませんでした。
このアルバムは、即座にBBCやアメリカの多くのラジオ局で放送禁止になってしまいました。
しかしながら、論争を呼んだおかげで、セールスには何の支障もなかったようです。
The Who(ザ・フー)の4thアルバム、"Tommy"(ロック・オペラ「トミー」)には、聴覚、言語、視覚に障害を持つ、Tommy(トミー)という少年の物語があります。
Pete Townshend(ピート・タウンゼント)の凄さを感じる作品です。



登場人物

Tommy Walker(トミー・ウォーカー) : アルバムタイトルの元となった主人公の少年。父の犯した殺人を目撃したショックで視覚・聴覚・発話障害の三重苦を負う。
"Captain Walker"(ウォーカー大佐) : Tommy(トミー)の父親。夫人の浮気を目撃して衝動的に情夫を殺害する。
Mrs. Walker(ウォーカー夫人) : Tommy(トミー)の治療方法を模索して迷走する母親。
The Lover : Mrs. Walker(ウォーカー夫人)の情夫。"Captain Walker"(ウォーカー大佐)に殺害される。
Uncle Ernie(叔父アーニー) : Tommy(トミー)の叔父で小児性愛者。Tommy(トミー)に性的な悪戯をする。
Cousin Kevin(従兄弟のケヴィン) : Tommy(トミー)の従兄弟。Tommy(トミー)を執拗に虐待する。
The Hawker(ザ・ホーカー) : 治療を願うMrs. Walker(ウォーカー夫人)が訪れるカルト教団の主導者。
The Local Lad(元チャンピオン) : ピンボール大会で競り負け、Tommy(トミー)に「ピンボールの魔術師」の称号を奪われる。
Acid Queen(The Gypsy)アシッド・クイーン(ジプシー) : Tommy(トミー)を治療すると称して幻覚性の薬物を投与したジプシーの女。
The Doctor(医師) : Tommy(トミー)の障害が身体ではなく精神に起因することを突き止めた。
Sally Simpson(サリー・シンプソン) : Tommy(トミー)の熱狂的な信者の少女。



収録曲

1. Overture(序曲)
2. It's a Boy(イッツ・ア・ボーイ)
3. 1921(1921)
4. Amazing Journey(すてきな旅行)
5. Sparks(スパークス)
6. Hawker(光を与えて)
7. Christmas(クリスマス)
8. Cousin Kevin(従兄弟のケヴィン)
9. Acid Queen(アシッド・クィーン)
10. Underture(アンダーチェア)
11. Do You Think It's Alright?(大丈夫かい)
12. Fiddle About(フィドル・アバウト)
13. Pinball Wizard(ピンボールの魔術師)
14. There's a Doctor(ドクター)
15. Go to the Mirror!(ミラー・ボーイ)
16. Tommy, Can You Hear Me?(トミー、聞こえるかい)
17. Smash the Mirror(鏡をこわせ)
18. Sensation(センセイション)
19. Miracle Cure(奇蹟の治療)
20. Sally Simpson(サリー・シンプソン)
21. I'm Free(僕は自由だ)
22. Welcome(歓迎)
23. Tommy's Holiday Camp(トミーズ・ホリデイ・キャンプ)
24. We're Not Gonna Take It(俺達はしないよ)



当時のメンバー

Roger Daltrey(ロジャー・ダルトリー)(ヴォーカル)(ライブでは曲によってハーモニカ、タンバリン、ギターも担当する。)
Pete Townshend(ピート・タウンゼント)(ギター、ヴォーカル、キーボード、シンセサイザー)(The Who(ザ・フー)のメイン・ソングライター。
John Entwistle(ジョン・エントウィッスル)(ベース、ヴォーカル、ブラス)(2002年6月27日に他界。)
Keith Moon(キース・ムーン)(ドラムス)(1978年9月7日に他界。)



The Who "Tommy"

The Who Tommy.PNG




The Who - Christmas & The Acid Queen Live at the Isle of Wight Festival 1970



The Who - Pinball Wizard (From "Live At The Isle Of Wight Festival")



タグ:The Who
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2012年05月04日

Kate Bush "Never For Ever"

Kate Bush(ケイト・ブッシュ)は、1958年7月30日生まれのイギリスの歌手、シンガーソングライターです。
Kate Bush(ケイト・ブッシュ)(本名:Catherine Bush(キャサリン・ブッシュ))は、英・大ロンドン(Greater London)ベクスレー区のベクスリーヒース(Bexleyheath)の比較的裕福な家庭に生まれました。
Pink Floyd(ピンク・フロイド)のDavid Gilmour(デヴィッド・ギルモア)に見出されEMIから、レコード・デビューに至りました。
それ以前に自分で売り込んだ際には、レコード会社から見向きもされなかったそうです。
デビュー当時は19歳ということもありアイドル的な見方もされましたが、高い歌唱力をベースに高音から低音まで様々な声質を使い分け、トータルで独自の世界を展開するアーティストとして確固たる評価を得ました。
英国音楽メディアのNMEやMOJOが「ロック史上、誰よりも大きな影響を与えてきた女性アーティスト」と評するなど、現在に至るまでイギリスを代表する女性アーティストとして活動を続けています。
日本では、かつて放送されていた日本テレビのバラエティ番組、「恋のから騒ぎ」のオープニング・テーマ曲に、彼女の楽曲、"Wuthering Heights(嵐が丘)が長年使われていたことから、その歌声は広く知られています。
1977年11月、エミリー・ブロンテの小説「嵐が丘」のTVドラマを見て作ったシングル、Wuthering Heights(嵐が丘)でデビューしました。
いきなり全英4週連続一位を記録しました。
Wuthering Heights(嵐が丘)を収録した1stアルバム、"The Kick Insides"(天使と小悪魔)は、1978年にリリースされ、40万枚というセールスとなり、一躍大きな注目を集めました。
その後、1978年11月に、2ndアルバム、Lionheart(ライオンハート)をリリースしました。
3rdアルバム、"Never For Ever"(魔物語)は、イギリスでは1980年9月にリリースされました。
このアルバムは、全英チャート1位を獲得したそうです。
Kate(ケイト)自身、3作目にして、本当に満足の行く作品ができたようです。
John Kelly(ジョン・ケリー)とKate Bush(ケイト・ブッシュ)の共同プロデュースの結果でもあります。
"Never For Ever"(魔物語)のレコーディングを始めた直後に、Kate(ケイト)は、「ミステリー/ケイト・ブッシュ・オン・ステージ」(Kate Bush On Stage)という4曲が収録されたライヴEPの制作をして、Peter Gabriel(ピーター・ガブリエル)の3rdアルバム、「III」に参加しています。
"Never For Ever"(魔物語)には、1stアルバム、"The Kick Insides"(天使と小悪魔)に収録されているWuthering Heights(嵐が丘)に匹敵する名曲、Babooshka(バブーシュカ)が1曲目に収録されています。



収録曲


1. Babooshka(バブーシュカ)
2. Delius(ディーリアス(夏の歌))
3. Blow Away(死者たち)
4. All We Ever Look For(わずかな真実)
5. Egypt(エジプト)
6. The Wedding List(ウエディング・リスト)
7. Violin(バイオリン)
8. The Infant Kiss(少年の口づけ)
9. Night Scented Stock(木の精は夜の香り)
10. Army Dreamers(夢みる兵士)
11. Breathing(呼吸)



Kate Bush "Never For Ever"

Kate Bush Never For Ever.PNG




Kate Bush - Babooshka - Official Music Video



Kate Bush - Army Dreamers - Official Music Video



タグ:Kate Bush
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2012年05月01日

"Phycho Killer"

Richard & Linda Thompson(リチャード・アンド・リンダ・トンプソン)の"Hokey Pokey"(ホーキー・ポーキ―)に収録されている曲をカヴァーしているアーティストがいるかどう調べたところ、動画が見付かりませんでした。
その代りに、Richard Thompson(リチャード・トンプソン)が、David Byrne(デヴィッド・バーン)と一緒に、Talking Heads(トーキング・ヘッズ)の"Phycho Killer"(サイコ・キラー)を歌っている動画を見付けました。
これは、素晴らしい。

David Byrne & Richard Thompson - Psycho Killer




The Ukulele Orchestra of Great Britain(ザ・ウクレレ・オーケストラ・オブ・グレート・ブリテン)というイギリスのウクレレ音楽集団による"Phycho Killer"(サイコ・キラー)もあります。

Psycho Killer - The Ukulele Orchestra of Great Britain - BBC Proms




Talking Heads(トーキング・ヘッズ)の"Phycho Killer"(サイコ・キラー)です。

TALKING HEADS




David Byrne(デヴィッド・バーン)の"Phycho Killer"(サイコ・キラー)です。

David Byrne "Psysco Killer"



タグ:Talking Heads
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